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シーズー犬 あんみゅのつむじ風

女優犬あんちゃんと、大物アイドルみゅちゃんの成長日記を中心に、ワンコと花や風景の写真がたくさんです。

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地震から半年・・・被災地 石巻の現実

ごめんなさい。
今日はまったくワンコネタではありませんm(_ _)m



9月2日から3日までお仕事関係の仲間と
仙台の南三陸の地元の方々と触れ合い、
そして被害状況をこの目で見てきました。


何か少しでも、私達仲間で被災地の方々に支援ができないものか・・・
そんな思いから始まった
毎年行われる勉強会という名の合宿なんです。




まず一日目は仙台からバスをチャーターし
石巻をへて南三陸に入りました。

バスの運転をお願いできたのは
3月からボランティアを続けていて
現在は、被災地の案内するコーディネーター的な
お役目もしていらっしゃるハワイ在中の男性です。

いろんな話を聞かせてくれながら
石巻まで運転してくださいました。


仙台市内もライフラインは全て止まる被害を受け
取り壊すビルが6建ほどあるそうです。

いちはやく修理して営業が再開できたのは
大手企業だったそうです。


高速道路にのり石巻に向う途中
道路の右は田んぼとその先に海
その反対も田んぼが続きますが
あきらかに右と左は違います。

津波によって海水の入った田んぼは茶色くなり
次に田植えをするには、土から全て入れ替えないとならない状態です。

高速道路で海水は止まり
反対側の田んぼは緑が美しく
家も壊れていません。

しかしながら、やっかみから放火されるという事も
のちにあったようです。


写真は帰りに撮影したため、海側が左になっています。



被災地 石巻の現実














海に近づき、家並みの風景が変わりはじめました。



被災地 石巻の現実













しかしまだまったく海は見えません。
何キロくらい離れたところまで、津波は押し寄せたのでしょう。。。
海から何キロも平坦なため
かなり海から離れたところまで
津波の被害は膨大です。

家の一階部分は、どの家も壊されています。
津波が飲み込んだというより
津波によって壊された家などが
家をまた壊していく・・・そんな感じです。



被災地 石巻の現実














すでに完全に壊された家もあり
道路際だけではなく
ずうーーーっと壊された住宅は続いています。

家を補修する、取り壊すにも
材料が足りない、
作業する人間が足りない現実です。

そして今も
この家の2階でライフラインなく
不自由な生活している方も多くいらっしゃるそうです。



被災地 石巻の現実














道路の真ん中に
何処かの看板だったろう大きな缶詰が転がっています



被災地 石巻の現実













その大きさは車と比べてみれば、わかるでしょう。



被災地 石巻の現実













海に近づき、押し流された車も
目立ち始めます。



被災地 石巻の現実














ライフラインがストップし、なお家の2階に住んでいた方々は
物資の支援が届かずかなりご苦労されたそうです。

ドライバー兼案内をしてくれた男性は
むしろ避難所ではなく
こういった支援物資の入らない被災者の方々に
炊き出しなどをして支援してきたそうです。


被災地 石巻の現実













先に見えるのがテレビでもみかけた石巻病院です。

ケガをした患者だけでなく
避難所にもなり廊下から全て
人でうまり歩くのも困難な状態だったそうです。



被災地 石巻の現実













その後ろには
車が山積みです。



被災地 石巻の現実












そして集められた、ガレキの山が続きます。



被災地 石巻の現実













今度はクルマの山です。
被災当時は車は動いていたそうです
けれど月日と共に錆びはじめて
動かなくなる車が多数でているそうです。



被災地 石巻の現実













現在集められたガレキは何故か海のすぐそばに・・・
また海が荒れたらこれのガレキが押し寄せて来る危険があります。



被災地 石巻の現実














石巻の渡波小学校に到着。
石巻では120人以上の子供達が犠牲になったそうです。

この学校は避難所になっていましたが
1階はすっぽり津波に飲み込またそうです。

波しぶきが迫ってくるのが見え学校に逃げ込み
命からがら2階に上がった助かったと
避難所でボランティアをされている女性が話してくださいました。



被災地 石巻の現実













1階教室の下駄箱がその時の様子を
物語っています。



被災地 石巻の現実













こちらの体育館は新しく建て直したばかりで
機密性がよく、波は2メートルを超えていたが
扉をしめて水の浸入を防げた為
中に逃げ込んだ人たちの命は助かったそうですが
他の学校では海水が浸入して亡くなっているそうです。

一晩体育館から出れずに
水が引くのを待ったそうですけど
冬の東北の夜、どんなに恐怖の一晩だったことでしょうか・・・



水がひいたあと、
1階をかたずけて教室は避難所や
炊き出しができるよう
今は調理室ができています。


また、今は衣類の物資が自由に選べるように
整理されていました。



被災地 石巻の現実












8月いっぱいで多くの被災者は避難所を出て
30数名ほどが現在もこちらで生活をしているそうです。


新たな生活が始まっていても
生活の支援はなく、
仕事もない状態で
問題は山積みです。


被災地 石巻の現実















被災地 石巻の現実













建物内がまだ使えなかった頃
外にあるものを再利用してつくった
調理場です。


被災地 石巻の現実













マキが燃料のため
ススでヤカンや鍋は真っ黒
この煤にはどんな思いが詰まっているのでしょう。。。



被災地 石巻の現実














被災地 石巻の現実














グランドの土は、海の砂です。



被災地 石巻の現実




























地盤が沈み川の水面との差がありません。
ちょっとした雨がふればすぐに溢れる状態です。



被災地 石巻の現実











渡波小学校では「ワタママスマイルプロジェクト」を開始しています。
炊き出し等の仕事をしながら、
地域の復興と家族や子供のために
懸命にがんばっているお母さんを応援するプロジェクトです。



ワタママスマイルグッズ













『ワタママスマイル』のオリジナル商品の販売を始めました。

今後は仮設住宅でのコミュニティづくりのサポートや
朝市の開催、お年寄りのための配食事業などの食を中心とした
サポートを支援を行っていく為の資金に使われます。



ワタママスマイルグッズ




『ワタママスマイル』のオリジナルグッズは
こちらのネットでも購入できます。












渡波小学校でお話してくださった方が
「避難所から出て仮設住宅に入っても
何もかわらず、むしろ孤独になったり
仕事も見つからず
時間経過と共にやる気を失う人が増えていく
これからこそ、あらゆる面から支援していくことが大切」
・・・と話されていたことが印象的でした。



このあと、宿泊地南三陸に向います。
南三陸は町ごと津波にのまれた・・・と言っても過言ではない惨状です。

続きは、、、また。









最後に・・・・

亡くなられた方、被害に合われた方々に
心からお悔やみ申し上げ
手を合わる気持ちで撮影させて頂きました。

同行した知人が撮影した画像も数枚
紹介させて頂いています。



震災から半年が過ぎても
すさまじい惨状のなかにある被災地の現状を
一人でも多くの方に伝えること
それが私にできる事と思い、記事にしました。

言葉が見つからない・・・
悲しく重い現実があります。
どう伝えても足りません。

言葉足らずでうまく伝えられてない事もあるかもしれません。
どうかお許しください。



まだまだ被災地の方々は不自由な生活
悲しみ苦悩のなかにいます。

もし、旅行をする機会があれば
どうか東北を候補にあげてみてください。

被災地にお金を使うこと・・・
それは私達にもできる支援になると思います。












あんちゃんネタではないんですけど・・・・
よかったら応援くださいm(_ _)m


応援ありがとう  クリックありがとうございます
ポチっとありがとうございます
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| 東北大震災を考える | 22:28 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

初めてコメントさせて頂きます
いつも読み逃げさせてもらってました。スイマセン。。。

私事ですが、地元が石巻で渡波小学校は母校なんです
半年になろうとしてますが、いまだあんな状態です
でも先月帰省した時には、スーパーやコンビニが再開
し始めてました。ほんのちょっとですが前にも進んでます
それでも避難所生活等々、いろいろ問題は山積みですね

突然で申し訳ありません
ただ、現地に行ってくださりUPして頂いて
ありがたいなぁ~と思ってついつい・・・
ありがとうございますm(__)m

| みみこ | 2011/09/07 12:23 | URL |

うちの両親の実家は石巻から車で108号線を東北道へ行く途中にある、涌谷町というところなんですよ、伯父の田んぼも幸い助かった部類ですが、ショックですねー、燃やされちゃうなんて、火を付けた人が悪いとかではなくて、ここまでの精神状態にさせた震災なんですよねー・・・。この震災で石巻の津波で従妹を亡くしました、車の中から発見されました・・・車の山を見ると切ないですねー、まだ36歳だったの。。。先月うちの両親が供養に行っていました。伯父に電話すると「大丈夫、大丈夫、津波の被害はないから・・・」と明るい声だけど、そうではなさそうですねー。

| ケン母 | 2011/09/07 20:18 | URL |

コメントありがとうございます

みみこさんへ
こんにちは!
いつもあんちゃんブログに来てくださり
ありがとうございます。


> 私事ですが、地元が石巻で渡波小学校は母校なんです

驚きました!
そんなに身近な方が読んでくださってたなんて・・・
でもコメ残してくださり本当にありがとうございました。


> ただ、現地に行ってくださりUPして頂いて
> ありがたいなぁ~と思ってついつい・・・
> ありがとうございますm(__)m

ありがとうおございます、そう言って頂けてほっとしています。
言葉がたりない、説明不足・・・
多々あるかと思います、どうぞお許しください。



ケン母さんへ
そうだったのですね・・・
ケン母さんもご心配されていたんですね。
従妹さんのご冥福心からお祈りいたします。

伯父さま、もっと大変な人がいるから・・・って
がんばってらっしゃるんでしょうね。

どなたも「東京も大変だったでしょ」って
むしろ気遣ってくださいます。
素敵な方々ばかりでした。

| あんちゃんママ | 2011/09/07 22:31 | URL |

6ヶ月という月日を経ても変わることのない写真の1枚1枚‥
重みを感じる写真でした‥

| ハッピーママ | 2011/09/07 23:04 | URL |

まだまだ時間がかかりそうですね。
私に何ができるのか考えさせられました。

| kanon | 2011/09/08 07:33 | URL | ≫ EDIT

コメントありがとうございます

ハッピーママさんへ
本当にこれからまだまだ・・・
永い年月がかかるでしょう。
私達は忘れてはならないです。



kanonさんへ
今はまだ、ご紹介したようなものしか
売るものがないですけど・・・

復興しはじめれば
地元の食材などネットショップ
アンテナショップや物産展で
優先的に買い物する・・・・
自立してもらうための支援として
ひとつの方法と思います。

| あんちゃんママ | 2011/09/08 18:37 | URL |















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